高雄二日目の朝。空を見上げた瞬間、「あ、これは完全に台風の前触れだな」と悟るレベルの、やる気を失わせるどんより曇り空が広がっていた。気温は余裕で30℃超え、湿気は全力で体にまとわりつき、もはや空気そのものがベタついている。外に出た瞬間、ここは高雄なのか、それとも巨大サウナ施設なのか判断がつかない。
正直、決して快適とは言えない。むしろ修行に近い。しかしこの日の夕方には台北へ戻る予定が控えている。となれば選択肢は一つ――この悪条件を無視して、時間の許す限り高雄を攻めるしかない。
空が暗かろうが、汗が止まらなかろうが関係ない。せっかく来たのだ、高雄を楽しまなければ負けである。そう自分に言い聞かせ、すでに背中に汗を感じながら、私は意を決して街へと歩き出した。こうして「台風×猛暑×タイムリミット」という三重苦を抱えた、高雄二日目の戦いが静かに幕を開けた。
――が、甘かった。
一歩足を踏み入れた瞬間から、敷地は予想を裏切り続ける。歩けど歩けど終わらない。気づけば周囲は倉庫アート、巨大オブジェ、壁画、また倉庫。「近い=小さい」という常識は、ここ高雄では通用しないらしい。もはやアートセンターというより、出口のわからないアート迷宮である。
とはいえ、不思議と嫌ではない。次に何が出てくるかわからない空間に、じわじわとテンションが上がっていく。こうして、高雄二日目は「想定外に広い」という最高の裏切りとともに、静かに、しかし確実にワクワクしながらスタートしたのだった。
思わず足を止めて、「……これは本当にアートなのだろうか?」と首をかしげてしまう“作品らしき何か”にも次々と遭遇する。説明がなければ完全にボケなのか、本気なのか判別不能。もはや作品を鑑賞しているのか、作家から静かに試されているのか分からなくなってくる。
「わからない=ダメ」ではなく、「わからないけど、なんか面白い」という感覚が普通に成立してしまうのが怖いところだ。気づけば、作品を評価しているつもりが、こちらの感性のほうが品定めされているような気分になってくる。
高雄湾を背に、展示されているアート作品の横へそっと立ってみる。すると不思議なことに、景色も空気も一気に“展示モード”へと切り替わった。ポーズを決めたその瞬間、頭の中では勝手にキャプションが浮かぶ――《旅人(仮)》。
もはや鑑賞者ではない。今この数秒間だけは、完全に「見る側」から「置かれる側」へジョブチェンジだ。作品と肩を並べ、高雄湾を背景に静止していると、「あれ、もしかして自分も展示の一部では?」という錯覚に包まれてくる。
もちろん、誰からも頼まれていないし、公式でもなんでもない。それでも自分なりに“展示に参加した感”だけはしっかり残った。アートと景色と旅人が一瞬だけ溶け合った、不思議でちょっとおかしい、でも確実に楽しいひとときだった。
この一帯は再開発が進み、「ただ歩いているだけで、なんだか自分まで洗練された気がしてくる」という不思議なエリアに変貌していた。足元から伝わってくるのは、明らかに“おしゃれ側の空気”。何もしていないのに、自然と歩幅が整い、背筋が少し伸びる。
景観はどこか横浜の赤レンガ倉庫を彷彿とさせる。無骨な倉庫風の建物が並んでいるのに、古臭さは一切なく、むしろモダンでスタイリッシュ。歴史と今風センスがちょうどいい距離感で共存している感じだ。
街そのものが「俺、ちゃんとアップデートしましたけど?」と語りかけてくるような活気に満ちていて、気づけばこちらもその空気に飲み込まれている。高雄という街の“生まれ変わりの現場”を、全身で体感できる――そんな、歩くだけで楽しい場所だった。
正直に言えば、作品の意図までは最後まで掴みきれなかった。だが港に点在するアート作品は、そんな理解不足をまったく気にしないほどとにかくデカい。説明を読む前に、まず視界を占領してくる。その圧倒的なサイズと存在感に、「はい、ここ注目ね」と強制的に足を止めさせられる。
意味がわからなくても関係ない。考えるより先に、インパクトが胸にドンと飛び込んでくる。理屈抜きで「これはただ者じゃないぞ」と感じさせる力があり、気づけばじっと見上げ、写真を撮り、また見上げている自分がいた。
深く読み解けなくてもいい。理解できなくても楽しめる。そんな開き直りすら許してくれる懐の深さも、この港アートの魅力なのだろう。視線を奪われるというより、完全に捕まった――そんな感覚だった。
「「The Pier-2 Art Center」を一通り満喫したところで、次の目的地へ。ライトレールに乗り込み、「Dream Mall」へ向かうことにした。そして早速、駅に着いた瞬間から意表を突かれる。
なんと、線路の周り一面が芝生。レールと聞いて思い浮かべる、あの無機質で硬いイメージはどこへやら。目の前に広がるのは、鮮やかな緑のじゅうたんだ。あまりに爽やかで、「ここ、本当に電車走るよね?」と一瞬不安になるほど。
鉄とコンクリートの代わりに、緑で空間をデザインする発想。そこには高雄らしい余裕とセンスが感じられて、ただの移動時間のはずが、すでに立派な観光体験になっていた。
電車に乗る前から感心させられる――そんな街、なかなかない。
ライトレールに揺られること約20分。車窓の向こうには、高雄湾周辺の再開発エリアが途切れることなく広がっていく。クレーン、足場、建設途中のビル――完成形にはまだ至らない風景が、次々と流れていった。
それは決して殺風景ではなく、むしろ「街が成長している途中」をそのまま切り取ったような光景だ。今まさに未来が組み立てられている現場を、特等席から眺めている気分になる。
数年後、ここはどんな景色に変わっているのだろう。そんな想像が自然と膨らみ、ただの移動時間が、いつの間にか小さな“未来見学ツアー”に変わっていた。
目的地に近づくにつれ、街の完成予想図を勝手に頭の中で描きながら進む――そんな贅沢な20分だった。
Dream Mall/ Uni-president Dept. Store Kaohsiung
夢時代購物中心/統一時代百貨高雄店
「Dream Mall」に足を踏み入れた瞬間、まず脳内に浮かんだのはひとつ――デカい。とにかくデカい。6階建ての巨大モールの中に、これでもかというほど店舗が詰め込まれていて、歩き出して数分で悟る。「1日で全部回る?それはもう“Dream”の領域だな」と。
館内は平日だろうがお構いなしの大にぎわい。どこを見ても人、人、人。エスカレーターに乗っても、フロアを移動しても、空気がずっと動いている。ここはショッピングモールというより、買い物をテーマにした巨大アミューズメントパークだ。
ふと、アメリカで見かける静まり返ったモールの姿が頭をよぎり、「この活気、ぜひ輸出してほしい…」と本気で思ってしまった。人が集まり、歩き、楽しむ。そのエネルギーが建物全体から放たれていて、高雄という街の勢いを象徴する場所に思えた。
モール全体は、もはやショッピング施設というより近未来都市。ガラスと光を多用したデザインが空間を包み込み、どこを歩いても景色がコロコロと表情を変える。角を曲がるたびに「次は何が出てくるんだ?」と、自然と期待値が上がっていく。
フロアを移動するたびに新しい世界線にワープしたような感覚で、視覚的な刺激が途切れない。気づけば買い物よりも、街を探検している気分に近い。どれだけ歩いても、なぜか疲れより先に好奇心が勝つのが不思議だ。
「ちょっと覗くだけ」のつもりが、完全に時間感覚を持っていかれる。飽きるどころか、まだ見ていない場所がある気がして、つい長居してしまう――そんな引力を持った空間だった。
「Dream Mall」を名残惜しく後にし、次の目的地へ。向かうのは高雄を代表する観光スポット、龍虎塔だ。本来なら電車でのんびり向かいたいところだが、頭の片隅ではすでに“台北へ戻る列車のカウントダウン”が始まっている。
今回は迷わずタクシーを選択。風情よりも時間を取る、潔い判断である。車窓を流れる街並みを眺めながら、「あと何分あれば、どれだけ回れるか」を自然と計算してしまうあたり、完全にタイムアタック観光モードだ。
限られた時間をどう使うか。移動手段ひとつにも、旅人の本気度が表れる。こうして、高雄を一秒でも多く味わうための“急ぎ足観光”は、まだ続いていくのだった。
「龍虎塔」に到着した瞬間、視界に飛び込んできたのは、蓮池潭のほとりに並び立つ二本の塔。そのあまりに分かりやすく、そして堂々とした姿に、思わずブレーキがかかる。「あ、これが高雄だ」と直感的にわからせてくる迫力があった。
遠目でも十分インパクトがあるのに、近づくほどに存在感はどんどん増していく。色使い、装飾、サイズ感――すべてが全力で主張していて、視線を逸らす隙を与えてくれない。これはもう観光スポットというより、街の顔だ。
到着した瞬間、移動の疲れや時間の制限なんて一気に吹き飛ぶ。「来てよかった」と即答させられる、気分を一段引き上げてくれる光景だった。
Dragon and Tiger Pagodas
龍虎塔
池沿いをそのまま歩いていくと、今度は視界の先に北極亭玄天上帝神像が現れた。「まだあるの?」と思わず声が出そうになるほど、その姿は堂々たるもの。龍虎塔にまったく引けを取らない迫力で、静かに、しかし圧倒的にこちらを見下ろしている。
一つ見終わったら次、という軽い気持ちで歩いていると、その期待値をあっさり超えてくる。蓮池潭一帯は、どうやら“小出し”という概念を知らないらしい。まるで巨大スケールの名所が順番待ちをしているかのようで、歩を進めるたびに「次は何が来るんだ」と驚きが上書きされていく。
ただ池の周りを歩いているだけなのに、見どころが連続で押し寄せてくる。ここは散策路というより、スケール感で殴ってくる観光ルートだった。
これらの壮大な建造物を建立したのは、池の前に鎮座する 「左營城邑慈濟宮」 だという。あのスケール感と貫禄を見せつけられれば、てっきり何百年もの歴史を背負っているのだろう、と勝手に思い込んでしまう。
――ところが完成は1976年。思わず二度見するレベルで、意外にも“現代生まれ”だった。
見た目は完全に大ベテラン。なのに実年齢はまだ若手。迫力、規模、存在感、そのどれを取っても「新参者です」とは到底思えない堂々ぶりで、歴史の長さだけが重みを決めるわけではないのだと納得させられる。
蓮池潭に立つこれらの建造物は、年齢以上の貫禄をまとった、異様に風格のある若者。そのギャップこそが、強く印象に残る理由なのかもしれない。
名残惜しさを胸に、高雄での楽しい時間に区切りをつけ、High Speed Railに乗って台北へ戻ることにした。移動時間はおよそ3時間。数字だけ見れば「まあまあ長いな」と思う距離だが、実際の感覚はまったく違う。
座席に身を沈めた瞬間、旅のスイッチは観光モードから休憩モードへ自然と切り替わる。足を伸ばし、静かな車内に包まれて揺られていると、これはもはや移動というより回復タイムだ。景色が流れていくのをぼんやり眺めながら、頭の中では高雄の風景をゆっくり反芻する。
気づけば時間は静かに溶けていき、3時間という数字の存在感はどこかへ消えていた。
苦どころか、むしろ「もう少しこのままでいいかも」と思わせる、心地よい帰路だった。
マンションの最寄り駅である淡水駅に到着した、その瞬間だった。まるでこちらの行動を監視していたかのような完璧なタイミングで、空が本気を出す。ドッと音を立てて降り始めたのは、もはや「雨」というより開幕宣言レベルの大雨だった。
天気予報は嘘をつかなかった。どうやら台風、ついに現場入りである。「今です」と言わんばかりの豪雨を前に、達成感よりも先に頭をよぎったのは、この先の台湾旅行プランの行方。予定は守られるのか、それとも白紙に戻されるのか――。
無事に帰ってきたはずなのに、気分は一気にサスペンス展開。淡水の空に広がるのは雨雲だけでなく、今後の旅程に対する小さな不安という名の暗雲だった。
長旅の疲れに追い打ちをかけるような大雨に見舞われ、この日の私は完全にエネルギー切れ。「さあ、夜ごはん行くぞ」という気力はどこにも見当たらず、外出という選択肢は静かに消滅した。結果、駅前でさっと買えるテイクアウト寿司にすべてを託す、実に現実的な着地である。
部屋に戻り、寿司を並べながらぼんやりしていると、なぜか突然、どうでもいいはずの疑問が頭をもたげてきた。――「『魚』を三つ並べた漢字って、何て読むんだろう?」(※疲れていると、人はこういう思考回路に入るらしい。)
旅の達成感も、台風への不安も、一旦その謎に吸い込まれ、答えは出ないまま時間だけが過ぎていく。こうして、雨音と寿司と未解決の漢字をお供に、「今日はもうここまで」と自分に言い聞かせ、静かに一日を閉じた。
ではまた明日。続きを考える元気は、明日の自分に任せることにしよう。












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