2025年12月18日木曜日

10/28/2025 台湾帰省旅行 十二日目・旧海軍司令部壕・ひめゆりの塔・平和祈念公園 - 10/28/2025 Taiwan Homecoming Trip - Day 12: Former Imperial Japanese Navy Headquarters, Himeyuri Memorial Tower, Peace Memorial Park

 

沖縄3日目。この日は、あえて明るい観光ではありません。

最初に向かったのは、沖縄戦の最中、日本海軍が最後の拠点とした巨大な地下防空壕——
「旧海軍司令部壕」。

正直に言えば、ここは楽しい場所ではない。むしろ、沖縄の歴史の中でもかなり重く、ダークな一面に触れる場所。

それでも、沖縄という土地を本当に知ろうと思ったら、ここは避けて通れない。「知らないまま楽しむ」より、「知った上で感じる」ほうがいい。観光気分を少し置いて、心のスイッチを切り替える。

沖縄3日目は、静かに、深く考えるところから始まりました。


旧海軍司令部壕には、全長およそ450メートルにも及ぶ地下壕が残されていて、現在は一般の人でも実際に中を歩いて見学することができます。

薄暗く、ひんやりとした通路を一歩ずつ進んでいくと、資料や説明を読む前に、「ここで何が起きていたのか」が自然と伝わってくる。

空気の重さ、閉塞感、逃げ場のなさ。当時の戦時下が、どれほど恐ろしく、極限の状況だったのかを、頭ではなく肌で感じさせられる場所です。

ただ見るだけでは終わらない。歩いた分だけ、胸の奥にずしりと残る。そんな体験ができる地下壕でした。


旧海軍司令部壕を後にした私は、次の目的地 「ひめゆりの塔」 へ向かうべく、気合を入れてバス移動に挑戦。

そのルート、バスを3本乗り継ぐという、なかなかの上級編。……が、ここで痛感する。沖縄のバス移動、思ってた以上に難しい。

時刻表はあくまで目安、来るはずのバスはなかなか来ず、来たと思ったら違う行き先。「予定通りに行く」という概念が、少しずつ、しかし確実に崩れていく。

地図アプリとにらめっこしながら、「これはもう、流れに身を任せる旅だな」と悟る。

なんとかバスを2本乗り継ぎ、ようやくたどり着いたのは 糸満漁港。

ここで3本目のバスに乗り替える――はず、だった。予定では「少し待てば来る」。そう信じて30分。……来ない。

おかしいなと思って調べてみると、まさかの事実発覚。そのバス、すでに通り過ぎていました。そして追い打ち。次のバスは——2時間後。

げっ。思わず声に出る、本音。

糸満漁港で突然始まる、予定外の強制インターバル。「さて、どうする?」と、旅の神様から無言の問いを投げかけられた瞬間でした。

糸満漁港で立ち尽くしながら、グーグルマップさんに次の一手を相談。すると、「近くに気になる場所がありますよ?」とでも言うように、表示されたのが 山巓毛(さんてぃんもう)公園

そこには、戦前から使われていたという洗い場(?)が残っていて、さらに丘の上の高台にも何かあるらしい。「何かあるらしい」という曖昧な情報、嫌いじゃない。むしろ好き。

どうせバスは2時間来ない。だったら行くしかない。

というわけで、予定になかった寄り道、急遽決定。グーグルマップさん言われるがままに、“何があるかわからない丘”へ探検開始。


丘を登りきった先にあったのは、「糸満防空監視哨」の跡。

沖縄戦のさなか、ここは見張り台として使われていた場所らしく、さっきまで見ていた海と街の景色が、一気に違う意味を持って見えてくる。

そこに静かに佇んでいた石碑は、当時から残されているもの。新しく整えられた展示よりも、そのまま残っている存在感が胸に響く。

観光の予定にはなかった場所。でも、ここに立ったからこそ感じられた歴史がある。

バスを逃した偶然が、思いがけず、また一つ深い沖縄の一面に触れさせてくれました。


バス移動はここで潔く断念。タクシーに乗り込み、向かった先は 「ひめゆりの塔」

ここは、沖縄戦のさなか、看護要員として動員され、命を落とした「ひめゆり学徒隊」を慰霊するため、終戦後に建てられた記念碑です。

華やかな観光地とは、空気がまったく違う。立っているだけで、この場所が背負ってきた時間と重さが伝わってくる。展示や説明を目にしていると、沖縄戦では兵士だけでなく、多くの一般市民、そして若い学生たちまでもが巻き込まれ、命を落としたという現実を突きつけられる。

声を出す気にもなれず、ただ静かに見ているだけなのに、胸の奥が締めつけられるように痛む。

ここは「知っておくべき場所」。沖縄の美しさの裏側にある、決して目を背けてはいけない歴史を、強く、静かに教えてくれる場所でした。


次に向かったのは、タクシーで。はい、バスはもう諦めました。

目的地は、沖縄戦で最大の激戦地となった糸満市・摩文仁(まぶに)。

そこに広がるのが、世界の恒久平和を願って整備された広大な国定公園、「平和祈念公園」です。

青い空と海に囲まれた、一見するととても静かで穏やかな場所。けれどその足元には、想像を超える数の命と歴史が眠っている。観光ではなく、祈りの場所。

平和祈念公園の広い敷地内には、沖縄戦に関わる数多くの記念碑が点在しています。

ひとつ、またひとつと巡るたびに、名前、数字、言葉の重みが胸に積み重なっていく。正直、見て回るだけでも心が追いつかない。

それでも歩き続けているうちに、ふと気づく。空の色が、少しずつ変わり始めている。日はゆっくりと傾き、残された時間はそう多くない。

このまま終わるわけにはいかない。どうしても、最後に見ておきたい場所があった。気持ちを切り替え、足を早めて、夕暮れの公園を横切る。


向かった先は、沖縄戦の終局を象徴する場所。

日本軍・第32軍の最高幹部たちが自決し、組織的な戦闘が終わったとされる場所――
摩文仁(まぶに)の崖にある洞窟(壕)、「第32軍司令部終焉の地」です。

平和祈念公園の中でも、さらに奥へ、奥へと進んだ先。人影も少なく、ただ風の音だけが聞こえる場所に、その跡はありました。こんな沖縄の“端”とも思える場所にまで、戦争は容赦なく押し寄せていた。そう思った瞬間、胸の奥がずしりと重くなる。

美しい海を背にしながら、ここで戦争が終わったという事実。静けさが、かえってその重みを強く伝えてくる場所でした。

こうして、この日の 沖縄戦を巡る旅 はひと区切り。心も頭もいっぱいになった状態で、結局またタクシーに乗り込み(はい、最後までバスは使いませんでした)、那覇市内へ戻ることに。

向かった先は、「The Tacorice House」

さすがにこの日は、沖縄らしいものを体が求めていた。というわけで、沖縄名物 タコライス をしっかり補給。スパイスの効いた味とボリューム感が、一日分の重たい気持ちを少しずつ現実に引き戻してくれる。

考える時間、感じる時間、そしてちゃんと食べる時間。歴史と向き合い、最後は沖縄の味で締める。


……とはいえ、このタコライス、想像以上に激うま。

正直、「まぁタコライスだよね」くらいの軽い気持ちだったのに、一口食べた瞬間に考えを改める。え、こんなに美味しいの?

スプーンが止まらず、気づけば完全にハマっている自分。今日一日で受け取った重たい感情を、この一皿が優しく包み込んでくれる。

歩いて、考えて、悩んで、感じて。そんな長い一日の最後に、ちゃんと「美味しい」で終われたのがうれしい。

このタコライス、沖縄3日目を締めくくる最高のディナーでした。

10/27/2025 台湾帰省旅行 十一日目・美ら海水族館 - 10/27/2025 Taiwan Homecoming Trip - Day 11: Churaumi Aquarium

沖縄2日目。
この日は、これまでの台湾&沖縄旅行の“分刻み修行スケジュール”とは打って変わって、珍しくのんびりモード。「今日はそんなに歩かなくていい」という最高の贅沢を噛みしめながら、高速バスに乗り込みます。

向かう先は、沖縄中部にある 美ら海水族館。那覇市内からバスに揺られること約2時間。車窓に流れる沖縄の海と空をぼーっと眺めているうちに、気分はすっかり“南国スローライフ”。

というわけで、
バスに揺られて、ジンベエザメに会いに行く1日、スタートです!

そして、美ら海水族館を擁する Ocean Expo Park に到着。目の前に広がるのは、空!海!緑!とにかく解放感フルスロットルの絶景。「おお〜!」と感動した、その0.5秒後——

思わず口から漏れた一言。「デカっ……もしかして、また歩くの?」

そう、感動と同時に襲ってくる、旅人あるあるの現実。地図を見た瞬間に悟るこの感じ。「これは……今日も足を使うやつだな?」という嫌な予感が、静かに、しかし確実に胸をよぎる。

のんびりする予定だった沖縄2日目。どうやらここから、“ゆっくりのつもりが結局歩く旅”が始まりそうな予感しかしないのでした。

到着してまず最初にやったこと。それは観光……ではなく、沖縄名物「BLUE SEAL」アイスで緊急エネルギーチャージ。

正直に言うと、普段はアイスクリームをほとんど食べないタイプ。「まぁ有名だから一応ね」くらいの軽い気持ちで一口。

……なにこれ、うまっ。想像の3段階上をいく美味さ。気づけば無言で食べ進め、完全に集中モード。

結果、糖分+沖縄マジックの合わせ技でHPがじわじわ回復。ちょっと体力が復活してきた気がする。いや、確実にしてきた。よし、行ける。たぶん、まだ歩ける。……たぶん。

まず最初に向かったのは、オキちゃん劇場のイルカショー。スタートからいきなり、心をわしづかみにされる展開です。

登場したのは、4頭のイルカたち。飼育員さんの合図ひとつで、ジャンプ、回転、シンクロ技を次々と披露。「はい次これね?」と言わんばかりの完璧な連携に、思わず拍手。

それにしても、イルカって本当に賢い。ちゃんと意思疎通ができていて、“芸をやってる”というより“会話してる”感じすらする。

開始早々、「あ、今日当たりの日だわ」と確信。最初からこんな完成度の高いショーを見せられたら、この先のハードル、勝手に上がっちゃいます。

次に向かったのは ウミガメ館。ここはもう、完全に癒し担当。

大きなウミガメから、まだ小さくてちょっと頼りなさそうなウミガメまで、みんながみんな、信じられないくらい優雅。水中をスーッと漂う姿を見ているだけで、心拍数が下がっていくのがわかる。

もう可愛いとかいうレベルじゃない。「この感じ…家にいたら最高じゃない?」「毎日眺めてたい…」と、一瞬本気でカメ飼育ライフが頭をよぎる。

……が、すぐ我に返る。(飼いません)

そしてお次は マナティー館。マナティーを見るのは今回で2回目だけど、やっぱり何度見ても不思議な存在。

あのとんでもなくデカい体で、「急ぐ」という概念をどこかに置いてきたかのような、超スローモーション遊泳。泳いでいるというより、水に浮かぶ哲学者みたいな雰囲気すらある。

見れば見るほど、「この生き物、何者?」という気持ちが強くなる。

で、私は勝手にマナティーのことを「水中の像」と呼んでいるんですが……これ、あながち間違ってないらしい。

実はマナティー、陸上ではゾウに近い仲間と言われていて、祖先をたどると確かにゾウと親戚関係。つまり「水中の像」、ほぼ公式認定(※私調べ)。


美ら海水族館の別館を一通り見終えたあと、普通ならそのまま本館へ直行する流れ。

……なんですが、私は違った。どうしても 沖縄の“本気の海” をこの目で見たくなり、
少し先にある Emerald Beach へ寄り道することに。

結果——大正解。目の前に広がるのは、「写真より実物のほうが強いタイプ」の沖縄ブルー。
透明度がバグっていて、ただ立って眺めているだけで気持ちいい。

ちなみにこの時期は、ウミガメの産卵シーズンのため遊泳禁止。……まぁ、そもそも水着も持ってないんですが。

泳げなくても関係なし。潮風を感じながら、キラキラ光る海を眺めているだけで、「あぁ、沖縄来てよかったな」と素直に思える。


寄り道、癒し、寄り道、そしてまた癒し。気づけばいい感じに時間も体力も削られつつ、
ついに今日のメインイベントへ。そう、満を持して美ら海水族館、本館へゴー!

ここから先は、急がない、焦らない、予定も詰めない。ただひたすら、巨大水槽と海の住人たちに身を委ねる時間。

寄り道しまくった分、期待値はすでにMAX。「さぁ、どんだけ感動させてくれるんだ?」と、自然とテンションも上がってくる。


館内に入った瞬間から、もうずっと 感動しっぱなし。「え、こんな魚いるの?」「図鑑でしか見たことないやつじゃん?」そんな心のツッコミが止まらない。

今まで一度も見たことのないような魚たちが次々に現れて、目が追いつかないし、情報量が多すぎる。完全に脳が海モード。

気づけばそこは、修学旅行の生徒たちで大にぎわい。元気いっぱいの中学生(たぶん)に自然と紛れ込み、私もその一員のような顔で展示をじっくり見学。

「先生、次どこ行きますか?」と言われてもおかしくない雰囲気の中、年齢だけが修学旅行じゃない大人の私も、テンションはしっかり同レベル。


そして、美ら海水族館といえば――これを見ずして語れない。

目の前に現れるのは、超・巨・大・水・槽。そして、その中を悠然と泳ぐ ジンベエザメ。

もうサイズ感がバグっている。水槽というより、海そのものを切り取ってきたみたいな迫力で、言葉が自然と少なくなる。

これはもう、子どもとか学生とか関係ない。大人でも、普通に、いや全力で感動するやつ。

ただぼーっと眺めているだけなのに、「わざわざここまで来てよかったなぁ」と心から思える。むしろ、これを見るためだけに来たとしても元は取れる。

美ら海水族館の真骨頂。ジンベエザメ、反則級でした。


美ら海水族館に大満足したあとは、帰りのバスまでまだ少し時間あり。「よし、この勢いで行けるところまで行こう」と、Ocean Expo Parkの反対側にある『熱帯ドリームセンター』 へ向かうことに。

……が、ここで異変発生。

脳は「行ける」と言っているのに、足が「無理です」と静かに、しかし強く主張。数歩進んだあたりで、完全にストライキ突入。

結果、途中の景色だけをしっかり堪能してUターン。正直、そこまでの道中も十分キレイで、
「まぁ、これはこれで正解だったな」と自分を納得させる。


帰りのバスに乗る前、気づけば足は限界、でも心はまだ元気。

そこで登場、本日2回目の「BLUE SEAL」アイスクリーム。

ほとんどアイスを食べない私が、まさかの1日2回。沖縄に来ると価値観が軽くバグる。一口食べて、「……うん、やっぱり美味しい。」朝と同じ感想なのに、なぜか納得感が増している。

歩き疲れた体に、冷たさと甘さがじわっと染みわたり、帰りまでのエネルギーを静かに補給。


バスに揺られて那覇市内へ戻った私は、そのまま一息つく間もなく、夜の部へ突入。

向かった先は、友達のマイちゃんが働く 「Bar BOND」。ここで待っていたのは、沖縄名物・泡盛の世界。種類いろいろ、度数もしっかり。昼間に酷使した足とは対照的に、グラスを持つ手だけが妙に元気。

店内にはライブのジャズ演奏が流れていて、重たい泡盛を一口飲むたびに、音楽がふわっと体に染み込んでくる。

最高のお酒に、最高の音楽。昼間に溜まった疲れが、静かに、でも確実に溶けていく。

こうしてこの日は、歩いて疲れて、見て癒されて、飲んで回復してを何度も繰り返した一日。

沖縄2日目、疲れと癒しが交互に押し寄せる、なんとも贅沢な夜で締めくくられました。

2025年12月3日水曜日

10/26/2025 台湾帰省旅行 十日目・福州園、国際通り、シュガーローフ、ハーフムーン、首里城、金城石畳道 - 10/26/2025 Taiwan Homecoming Trip - Day 10: Fuzhou Garden, Kokusai Street, Sugarloaf, Half Moon, Shuri Castle, Kinjo Stone Paved Road

那覇商業高等学校の野球グラウンド

 いよいよ沖縄上陸!初日からスケジュールがパンパンなので「早起きするぞ!」と気合を入れた結果、私の体内時計はまさかのフライングスタート!思っていたよりも早く起きすぎてしまいました!体は疲れているはずなのに、興奮と時差ボケ(?)のせいで二度寝は完全不可能。「こうなったら、この有り余る覚醒パワーを沖縄に捧げるしかない!」というわけで、ホテルがある松山の街を、静かに散歩しながら徹底的に検索&探索(サーチ&リサーチ)することにしました。


最初の目的地はホテルから徒歩10分の「福州園」!ここは、中国・福州市と那覇市の友情の証として、琉球の地に突如現れた中国式庭園です。一歩足を踏み入れると、そこは別世界!中国風の荘厳な建物と、穏やかな池、そして清らかな小川が流れる風景は...「まるでタイムスリップ!ここは本当に沖縄か!?」早すぎる覚醒でハイテンションだった私の心を、この静かで穏やかな空気が優しくクールダウン。早朝の静寂の中、異国の情緒に浸る散歩は、今日の怒涛のスケジュールを乗り切るための最高の「精神安定剤」となりました!


中国式庭園の静寂から一転、私はそのまま那覇最大の熱狂空間、「国際通り」へと突撃しました!お土産屋と飲食店がずらりと並び、観光客のエネルギーで街中が賑わっています(もちろん私もその一員!)。しかし!ここで立ち止まってはいけません。沖縄初日からお土産をじっくり見てしまうのは、「旅の体力を無駄に消耗する行為」に他なりません!「今はまだ早い!物欲を刺激するな!」私は「初日限定・スルー能力」を最大限に発動させ、誘惑の波をかき分けながら、どんどん先に進みます。

国際通りの「誘惑の壁」を速足で突き進む中、私の目に飛び込んできたのは、大好きなアーケード商店街「平和通り」の入り口!「これは行くしかない!」と、即座にルート変更。アーケード内へと吸い込まれました。そして、その中を歩いていると、美味しそうなオーラを放つ「福助の玉子焼き」を発見!「沖縄に来て初のソウルフードは、これだ!」迷わず注文したポーク玉子を一口…「うまっ!!!!!」予想を遥かに超える、感動的な美味しさ!このポーク玉子こそ、私が求めていた「沖縄の味」でした!


ポーク玉子の興奮冷めやらぬまま、アーケード商店街をさらに奥へと進んだ私。しかし!進むにつれて、さっきまでの活気が音を立てて消滅!キラキラしたお店は減り、代わりにシャッターが静かに降りた店が増えてきました。「あれ、ここはシャッター商店街に突入した!?」賑やかな国際通りのエネルギーとは真逆の、時間が止まったような静寂。この強烈なコントラストは最大の発見でした。華やかな表の顔(国際通り)と、静かに耐え忍ぶような裏の顔(シャッター街)。那覇市内の「光と影の真実」を垣間見て、探索は、観光ガイドには載らない深みへと到達したのでした。

アーケード商店街の探検を終え、国際通りに戻ると、まさかの緊急事態!「道がバリケードで完全に閉鎖されている!?」どうやら空手の国際イベントのため、国際通りが一時的に「巨大な道場」と化していたようです。しかし、これは危機ではありません、神様がくれた最高のチャンス!私は、普段は車と人でごった返す国際通りのど真ん中を、まるでレッドカーペットを歩くセレブのように堂々とウォーキング!「こんなレアな体験、めったにできない!」誰もいない道のど真ん中で、国際通りを独占するという、最高のハプニングを楽しみながら駅へと向かったのでした!

ゆいレールの「牧志駅」に到着し、次の目的地「シュガーローフ52高地」のルートを確認。画面に表示された「歩いて全然いける」の文字を見た瞬間、私の旅の美学が暴走しました!「よし、歩けるところは歩こう!」と即座に決定。朝から国際通りを独占し、台湾で4万歩を叩き出した足への悲鳴は聞こえていません。この時の私は、自らの「チャレンジ精神」と「節約精神」に酔いしれていました。しかし、この清々しいほどの「愚行」が、数時間後に私を襲う激しい後悔と足の激痛の始まりだとは、知る由もありませんでした。さあ、疲労の限界を超えた先の旅を求めて、いざウォーキング続行です!

激しい後悔と足の悲鳴を乗り越え、ついに「シュガーローフ安里52高地」に到着!ここは、かつて沖縄戦で日米両軍が血を流した歴史の最前線...のはずが!目の前にあったのは、ただの配水池と、のどかな公園。当時の面影はゼロで、あまりにも平和で普通すぎる、日常の街中の風景でした。「嘘だろ!?こんな穏やかな場所で、あの激戦が行われたなんて!」ウォーキングの果てに見たのは、歴史の重みと日常の平和が、あまりにもシュールに共存している光景でした。その強烈なギャップが、平和の尊さと、戦争の悲惨さを、静かに深く心に訴えかけてくるようでした。

次に向かったのは、またしても沖縄戦の激戦地「ハーフムーン」!しかし、そこにあったのは、小さな丘と記念碑、そして幼稚園と閑静な住宅に囲まれた、信じられないほどの静けさでした。「ここは本当に、80年前に血と泥にまみれた戦場だったのか…?」周囲の平和な日常と、地面の下に眠る歴史の記憶があまりにも対照的。その静けさは、ただの静寂ではありません。激戦の記憶を飲み込み、時間を超えて私たちに語りかけるような、重く、深すぎる静けさでした。

激戦地の静寂を後にし、次なる目標は沖縄観光の金字塔「首里城」!旅の鬼教官、Google Mapに所要時間を尋ねると、驚くことに「歩いて30分程度」という甘い言葉(悪魔の囁き)が返ってきました。既に足の疲労ゲージはレッドゾーンを振り切っているというのに、私は朝に立てた「歩けるところは歩き倒す!」という愚かなる誓いを貫くことを決断!「たかが30分!歩いて行けるなら歩こうじゃないか!」この時の私は、30分先に待ち受ける、あまりにも長い登り坂と、足の激痛という「後悔のフルコース」が用意されていることなど、知る由もありませんでした。

30分の後悔ロードを乗り越え、首里城エリアでまず目に飛び込んできたのは、UNESCO世界遺産の一部、「玉陵(たまうどぅん)」!ここは、琉球時代のキングたちが眠る、荘厳な王家の巨大墓陵です。目の前にそびえ立つ石造りの迫力!「おい、このお墓、500年も前に建てられたのか!?」と驚愕です。疲労困憊でフラフラだった私の体も、この500年分の歴史の重みと、琉球王国の権威から放たれる圧倒的なオーラに、思わず背筋が伸びました。


玉陵の迫力に続き、次なる目的地は首里城の目の前にある「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」!ここは、琉球国王が旅に出る際に必ず巡礼したという、究極のパワースポットです。「国王様、ご覧ください!4万歩以上も歩いてきた私のこの熱意を!」私もその由緒ある伝統にならい、このUNESCO世界遺産の石門をくぐり、台湾・沖縄大旅行の成功を心から祈願!これで私の旅の成功確率は100%にアップグレードされました!

玉陵、石門と聖地を巡り、ついにたどり着いた首里城のシンボル「守礼門」!ここは、琉球時代に中国からの冊封使(外交使節)が訪れた際、国王側がこの門まで出迎えに来たという、最高の歓迎の舞台です。私は心の中で密かに期待していました。「誰かこの門まで私を出迎えてくれないかな?」と!しかし、残念ながら、門の向こうに整列した琉球の使節団の姿はなく、ただ観光客が賑わうばかり…。「礼節を守る」と書かれたこの門をくぐり、いざ、沖縄の王国の心臓部へと踏み入ります!

守礼門をくぐり、ついにメインディッシュの首里城へ!しかし!目の前に広がっていたのは、荘厳な王国の姿ではなく...「そうだった!首里城はまだ『復興ミッション』の最中だった!」正直、「まだやってんのか!」と心の中でツッコミを入れましたが、その復興の様子は圧巻でした。ただ直すだけでなく、昔ながらの技法で、時間をかけて丁寧に「歴史を呼び覚ます」作業が進行中。完成した城を見ることはできませんでしたが、歴史が現代の技術者によって息を吹き込まれている、奇跡の瞬間を目撃できたのでした!


華やかな首里城の復興現場から一転、私が次に訪れたのは、そのふもとにひっそりと隠された「第32軍司令部壕」の入口。午前中に訪れた「シュガーローフ」「ハーフムーン」と同じく、ここは沖縄戦で日本陸軍の司令部が置かれていた場所。なんと、首里城の地下にトンネルが張り巡らされていたという、まるで秘密結社の地下基地のような場所です。現在は中に入ることはできませんが、この静かな入口の先に、かつて激しい戦闘が行われた司令部の空間が眠っていると想像するだけで、ゾッとします。地上は王国の象徴(首里城)、地下は戦争の心臓部(司令部壕)。この劇的なコントラストが、沖縄の歴史の複雑さと重さを、無言で物語っているようでした。

首里城の観光を終え、次に向かったのは、日本の道100選に選ばれた歴史ある「金城石畳道」!琉球石灰岩で作られた300mの美しい道は、しかし、その実態は「地獄行きの急坂」でした!歩き始めた瞬間、「ヤバい、これは無理だ!」と引き返そうと思いましたが、朝から歩き回ってる私の足には、坂を登り返す「再起動エネルギー」はもう残されていません!体力と引き換えに、途中で引き返すという「意思決定能力」すら喪失。私の足は、もはや制御不能となり、「進むしかない」と悟り、重力に身を任せて下まで降ろされました。

金城石畳道で「魂を抜かれた」私は、最後の気力を振り絞り、ゆいレール「首里」駅までさらに30分の「ゾンビウォーク」を敢行!なんとかホテルの最寄り駅まで辿り着いたものの、エネルギー残量は完全にゼロ。もう一歩も動けないと悟り、駅前で地面にへたり込んでいました。「ああ、もうダメだ…このまま意識が遠のく…」そう思った瞬間、疲労で研ぎ澄まされた耳に、「騒がしい音」が飛び込んできたのです!「歩けない」はずの私の体が、好奇心という名の最強アドレナリンによって強制再起動!最後の力を振り絞って、音のする方へふらふらと向かってみると...!

騒がしい音の正体は、駅前広場で行われていた「3x3バスケットボールのトーナメント」!「ちょっと休むついでに、ちらっとだけ見ていこう…」そう思ったのが運の尽きでした。一度座り込んでしまった私の足は、もはや完全に動くことを拒否! 立ち上がる気力も体力もゼロ!結局、私はコートの前の「特等席」から、激しいトーナメントを最初から最後まで鑑賞し尽くすことになりました。その結果...疲労が限界を突破!その後の記憶は、完全にブラックアウトです。どうやってホテルに戻ったのか、何を晩御飯に食べたのか、まったく覚えていません!こうして、私の沖縄初日は「記憶喪失」という名の強制終了を迎えたのでした!