ハトラ(Hatra, الحضر)は、イラク北部 に位置する古代都市遺跡で、紀元前2世紀から紀元後3世紀にかけてパルティア帝国の支配下で栄えました。この都市は、メソポタミアと地中海世界を結ぶ交易の要衝であり、ペルシャ、ギリシャ、ローマの文化が融合した独特の建築様式が特徴です。1985年にユネスコ世界遺産(文化遺産) に登録されました。
歴史
- 紀元前3世紀:セレウコス朝の影響下にあったが、次第にパルティア帝国の重要都市となる。
- 紀元前2世紀:ハトラ王国として独立し、ローマ帝国の侵攻を退ける。
- 紀元後116年:ローマ皇帝トラヤヌスが攻撃するも攻略できず。
- 紀元後198年:ローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの攻撃も撃退。
- 紀元後241年:ササン朝ペルシャによって征服され、都市は衰退。
特徴
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ハトラの神殿群
- ゾロアスター教、ギリシャ・ローマ神話、メソポタミアの神々が共存する珍しい宗教建築。
- 主神 シャマーシュ神(太陽神) を祀る大神殿が最も有名。
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巨大な城壁と防衛構造
- 直径 2km に及ぶ円形の都市を厚い城壁が囲み、堅固な要塞都市だった。
- 四方に城門があり、戦略的に優れた構造を持つ。
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ギリシャ・ローマ・ペルシャ様式の融合
- 神殿や彫刻には、ギリシャの円柱、ローマのアーチ、ペルシャの装飾 などが組み合わされている。
- これらの建築様式は、後のイスラム建築にも影響を与えた。
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貿易と文化の中心地
- シルクロードの一部として発展し、ローマ、ペルシャ、インドとの交易が盛んだった。
- 住民はアラビア語やアルメニア語を話し、多文化的な都市だった。
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イスラム国(ISIS)の破壊行為 |
現在の状況
- 2015年、イスラム国(ISIS)の破壊行為 により、遺跡の一部が損壊。
- 近年、イラク政府とユネスコによる復旧作業が進められている。
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イラク政府とユネスコによる復旧作業 |
アクセス
- 所在地:イラク北部、モースル南西約110km
- 最寄り都市:モースル(Mosul)
- 入場料:現在は観光客の立ち入り制限あり
まとめ
ハトラは、東西の文化が融合したユニークな遺跡であり、特に宗教建築と防衛施設が特徴的です。歴史的に重要な都市でしたが、近年の紛争で被害を受け、現在も復旧作業が続けられています。それでも、ハトラは中東の歴史と文化を知る上で貴重な遺産であり、将来的に再びその価値が見直されることが期待されています。
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