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コパン遺跡(Ruins of Copán) |
コパン(Copán)は、ホンジュラス西部に位置する古代マヤ文明の遺跡 で、高度な石彫彫刻やヒエログリフ階段が特徴的なマヤの中心都市 でした。6世紀から9世紀にかけて最盛期を迎え、マヤ文明の政治・文化の重要拠点として繁栄しました。1980年にユネスコ世界遺産(文化遺産) に登録されています。
歴史
- 紀元前1000年頃:最初の集落が形成される。
- 5世紀:コパン王朝が成立し、都市の発展が始まる。
- 6〜8世紀:最盛期を迎え、神殿や石碑(ステラ)、ヒエログリフの刻まれたモニュメントが多数建設される。
- 9世紀:気候変動や戦争による混乱のため、都市が衰退。
- 19世紀:ヨーロッパ人探検家によって再発見され、考古学調査が進む。
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球技場(Juego de Pelota) |
特徴
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精巧な石彫刻とヒエログリフ階段
- 「ヒエログリフの階段(Hieroglyphic Stairway)」 は、マヤ文明最大の碑文(全63段、2,200以上のヒエログリフ)で、コパン王朝の歴史が記録されている。
- 「ステラ(石碑)」 には王たちの功績や儀式が刻まれ、美しい装飾が施されている。
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大広場(グラン・プラサ)と神殿群
- 大広場(Gran Plaza) には、多くの石碑や祭壇が配置され、宗教儀式の場だった。
- 神聖なピラミッド型神殿 が建ち並び、マヤの宗教と天文学の知識が反映されている。
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球技場(Juego de Pelota)
- マヤ文明の重要な儀式「球技(ポク・タ・ポク)」が行われた競技場がある。
- 儀式や政治的な意味を持ち、勝者や敗者が神への生贄となることもあったとされる。
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王朝の歴史を伝える遺跡
- 18代目の王「ワシャクラフン・ウバーフ・カウィル(18 Rabbit)」 の時代(8世紀)は、コパンの最盛期で、多くのモニュメントが造られた。
- しかし、9世紀に入ると都市が衰退し、マヤ文明の大規模な崩壊の一部となった。
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ヒエログリフの階段(Hieroglyphic Stairway) |
現在の状況
- ホンジュラス最大の観光名所 で、多くの考古学ツアーが行われている。
- 遺跡の保存活動が進められ、一部のモニュメントはレプリカが設置されている。
- 気候変動や侵食の影響 により、一部の遺跡が劣化しつつあり、保護活動が重要視されている。
アクセス
- 所在地:ホンジュラス西部、コパン・ルイナス(Copán Ruinas)町近郊
- 最寄り都市:サン・ペドロ・スーラ(San Pedro Sula)から車で約3~4時間
- 入場料:約15〜20米ドル(博物館入場は別料金)
まとめ
コパン遺跡は、マヤ文明の高度な石彫刻技術と王朝の歴史を伝える貴重な遺跡 です。特に、ヒエログリフ階段やステラ(石碑) は、マヤ文明の政治・文化・宗教を理解する上で欠かせない遺産となっています。現在も発掘と研究が続いており、マヤ文明のさらなる謎を解明する可能性を秘めた世界遺産です。
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